今まで(K.S.・仙台支部会長)
日本禁酒同盟
私が飲み始めたのは高校の卒業式の日からです。そして仕事場を三回変えましたが、全
部飲むには好都合な所でした。飲む飲まないは自分の勝手ですが、自分を駄目にしたのは、
最後の職場になったタクシー会社でした。それも乗務員ではなく、運行司令室で二十四時
間体制の勤務でした。
深夜の事故処理、苦情の受け答え、ともかくストレスは半端ではあ
りません。ですから明け番の帰り道は、朝から営業していて、酒を出す店に寄り、「厄祓
い」だと、勝手な事を言いながら、飲んで帰る。そして昼前に家に着くと、「夕べ飲んで
無いから」と言って、家でまた飲む。これでは身体は黙ってはいません。
右半身がケイ
レン発作を起こす様になり、会社も辞めました。それからは入退院を繰り返しましたが、
合間をみては飲み続けました。大体、参加していた草野球チームの名前が「ボトルズ」で
すから、如何に酒漬けの生活だったかを物語っています。
そしてある時、お袋に「話を聞
くだけでもいいから、毎週断酒会に参加してみろ」と言われて、ズーっと参加を続けてい
ます。(禁酒新聞 第770号より)
一般財団法人 日本禁酒同盟
Japan Temperance Union