私が断酒に踏み切った理由(宮本伸)


日本禁酒同盟
 

       

 24年と8ケ月、私(44才)がアルコールと親しんで来た歳月です。高校時代、運動部に所属していた私は、当然のことながら、タバコはもちろんアルコールにもまったく無縁の生活を送っていました。そんな私にアルコールとの出会いが待ち受けていたのが、大学での部活動です。
 
 当時、バンカラな気質が残っていた体育会では、日本酒のイッキ飲みなど珍しいことではありませんでした。あまりの苦しさに嘔吐する度に先輩から、「そうやって吐くたびに(アルコールが)強くなっていくんだ!」と、妙な激励をうけたことをハッキリと憶えています。それでも、気の合う友人たちとの下宿で語らう飲酒は楽しいものでした。
 
 社会人となってからは、自分の給料で飲み屋に行けることが嬉しく、当時はそれで一人前になったような気がしていたのですから、現在考えればいい気なもんです。”飲む”という”非日常”の行為が、日常化していくのに、それほど時間はかかりませんでした。 そんな私に転機が訪れたのが5年前です。
 
 小学生時代からの親友が、飲酒運転で自損事故を起こし、脳に重い障害を抱え、日常会話すら出来なくなってしまったのです。私は、“アルコールを飲む”という行為について、深く考えざるを得ませんでした。それ以降、ア症に関する本を買ったり、図書館で借りたりして、自分なりに理解を深めようと試みました。本の中で紹介されていたア症に関する米映画「失われた週末」(1945)には本当に衝撃をうけました。
 
「アルコールも覚醒剤等の薬物も、究極的には同じものではないか? 否、徐々に身体が蝕まれていくアルコールの方がダメージは、より大きいかもしれない」というのが、この映画をみた後の感想です。
 
 それとは裏腹に、我が国でのアルコール販売は自由化されていきました。本当に矛盾を感じました。以前なら家で飲んでいても、アルコールがなくなれば「仕方がない」と諦めていたものが、コンビにでも深夜スーパーでも無尽蔵に購入できてしまいます。これでは、未成年者にも、ア症の患者さんにも良いはずがありません。
 
 アルコール販売の自由化という規制緩和に抗う意味でも、「もう酒なんかやめてしまおう!ついでにタバコもやめよう!」と決心したのが平成17年1月2日です。
 
 昨年7月インターネットで思いがけず「日本禁酒同盟」のホームページを見つけ、加藤純二理事長・小塩玄也副理事長を始めとする諸先輩方の論文、また日本禁酒同盟の趣旨に賛同し、自分自身の禁酒に対する覚悟を明確にするためにも加盟させていただきました。
 
 禁酒運動の先輩・根本正先生の、「欲と色と酒とを敵(かたき)と知るべし」の金言を、心の糧として、日本がアルコール規制の正道に立ち返るよう、一石を投じる覚悟ですので、諸先輩・同志の皆さま、よろしくお願いいたします。

 

  

財団法人 日本禁酒同盟
Japan Temperance Union